
2024年1月から電子帳簿保存法(電帳法)の改正が本格的に施行され、多くの事業者が電子データの保存方法について頭を悩ませています。特に、経理や営業の現場で日々大量に発生する「見積書」の取り扱いは、大きな課題の一つです。
メールで受け取ったPDF形式の見積書、クラウドサービス経由で送られてくる見積依頼など、その形態は多岐にわたります。中でも最も判断に迷うのが、「商談が進んだものの、最終的に契約には至らなかった見積書」の扱いです。
失注した見積書や、相見積もりの結果採用しなかった他社の見積書まで、すべて電子データとして保存する義務はあるのでしょうか。これを律儀にすべて保存しようとすれば、サーバー容量を圧迫し、管理コストは増大する一方です。
多くの事業者が抱える電子帳簿保存の法具体的な悩みに対し、専門家の視点から明確かつ決定的な回答を提示します。一般的な解説に留まらず、法律の条文解釈の根幹となる国税庁の公式見解(Q&A)を深く掘り下げ、保存が必要なケースと不要なケースを具体的に切り分けます。
なぜ見積書が電子帳簿保存法の対象になるのか
契約に至らない見積書の扱いを議論する前に、まず「なぜ見積書が電子帳簿保存法の対象となるのか」という根本的な法的背景を理解することが不可欠です。この土台を固めることで、後の例外的な取り扱いに関する理解が格段に深まります。
電子帳簿保存法の基本を再確認
電子帳簿保存法とは、法人税法や所得税法などの国税関係法令によって保存が義務付けられている帳簿や書類(国税関係帳簿書類)について、電子データ(電磁的記録)による保存を認める法律です。この「国税関係書類」は、企業の財務状況を示す「決算関係書類」(例:貸借対照表、損益計算書)と、日々の取引の事実を証明する「取引関係書類」に大別されます。そして、見積書は、請求書や領収書、契約書と並び、この「取引関係書類」に明確に位置づけられています。
法律上、取引の証拠となる重要な書類の一つと見なされているため、電子帳簿保存法の規制対象となるのです。自社が発行した見積書の控えと、取引先から受領した見積書の両方が対象となります。
「電子取引」の定義と義務化
見積書の保存義務、特に今回のテーマである「契約に至らない見積書」の問題が急浮上した直接的な原因は、「電子取引」に関する規定の厳格化にあります。「電子取引」とは、取引情報の授受を電子的な方式で行う取引全般を指します。ここでいう取引情報とは、見積書や請求書などに通常記載される事項のことです。具体的には、以下のような多岐にわたるケースが「電子取引」に該当します。
- 電子メールにPDFファイルを添付して送受信した場合
- Webサイトから見積書データをダウンロードした場合
- クラウド型の請求書発行システムやEDI(電子データ交換)システムを利用した場合
- ペーパーレスFAX機能を持つ複合機でデータとして受信した場合
- スマートフォンの決済アプリの利用明細データ
そして、2024年1月1日以降、この「電子取引」でやり取りしたデータは、必ず電子データのまま保存することが完全義務化されました。以前のように、メールで受け取ったPDFの見積書を印刷し、紙でファイリングして保存するという方法は、もはや法令違反となります。この「電子データでの保存義務化」が、事業者に「一体どこまでの範囲の電子見積書を、どのような要件で保存すればよいのか」という切実な問いを突きつけているのです。
契約に至らない見積書の保存義務に関する国税庁の公式見解
ここから本題の核心に入ります。電子データで授受したものの、契約や発注に至らなかった見積書は、果たして保存義務があるのでしょうか。結論から言えば、「すべてを保存する必要はないが、保存が必要なケースもある」というのが答えです。この曖昧さを解消する鍵は、国税庁が公表しているQ&Aにあります。
混乱が生じる理由
そもそも、なぜこの問題がこれほどまでに混乱を招いているのでしょうか。その理由は、電子帳簿保存法の条文そのものに、「契約に至らなかった見積書の保存」について直接的に言及した箇所が存在しないためです。多くの解説記事で「明文化されていない」と指摘されている通り、法律だけを読んでも明確な答えは得られません。
この法的なグレーゾーンが、「念のためすべて保存しておくべきだ」という過剰な対応と、「取引が成立していないのだから不要だろう」という自己判断を生み出し、事業者の間で混乱が広がっているのです。この状況を解決するためには、法律の解釈を示す行政機関、すなわち国税庁の公式な見解を確認することが不可欠です。
国税庁が示す保存不要な見積書の具体例
この問題に終止符を打つのが、国税庁が公表している「お問合せの多いご質問」というQ&A資料です。
この中で国税庁は、電子取引データの保存範囲は、紙の書類を保存する場合の範囲と基本的に変わらないと前置きした上で、「取引に関して」という文言の解釈を具体的に示しました。この解釈に基づき、国税庁は「見積書」という名称であっても、実質的に「取引」の準備段階に至っていない、すなわち保存が不要と考えられるケースを例示しています。
連絡ミスや書き損じがあるもの
これは、金額や型番の誤記など、明らかに間違いを含んだ見積書で、受領後すぐに訂正版が再発行されたようなケースを指します。このような当初の見積書は、取引の前提となる正式な意思表示とは見なされず、保存は不要です。保存すべきは、最終的にFIXした正しい内容の見積書となります。
正式な見積書前の粗々なもの
これは、正式な見積依頼の前に行われる、概算や予算感を知るためだけの「たたき台」のような資料を指します。例えば、「このプロジェクトだと、大体いくらくらいになりますか?」といった問い合わせに対し、口頭やメール本文で示されるようなラフな金額提示などがこれに該当します。これらは正式な取引のオファーではないため、保存義務の対象外と考えられます。
一方的に送られてくるもの
これが最も重要なポイントの一つです。自社が依頼したわけでもないのに、営業目的で一方的に送り付けられてきた見積書は、保存する必要がありません。
ここでの鍵は「取引の双方向性」です。自社からの働きかけ(見積依頼)がない一方的なアプローチは、法律上の「取引」の開始とは見なされないのです。これらの例に共通する根本的な原則は、「その書類が、取引に向けた双方の真摯な意思の交換の過程で作成・授受されたものか」という点です。
単なる誤記、検討前の概算、一方的な営業ツールは、この「真摯な意思の交換」の段階に至っていないため、「取引に関して」の書類には該当しない、というのが国税庁の考え方です。この原則を理解すれば、Q&Aに記載されていないケースでも応用的な判断が可能になります。
相見積もりにおける注意点
前述の「保存不要なケース」を理解した上で、絶対に注意しなければならないのが「相見積もり(競争入札)」の扱いです。あるプロジェクトのために複数の業者に見積もりを依頼し、比較検討するケースは日常的に発生します。この場合、最終的に契約した1社の見積書だけを保存すれば良いのでしょうか。
答えは「いいえ」です。相見積もりを依頼した場合、採用しなかった(失注した)他社の見積書も含め、提出されたすべての見積書を保存するのが原則です。一見、前項の説明と矛盾するように思えるかもしれません。しかし、ここでも先ほどの原則が働いています。相見積もりの場合、取引のきっかけを作ったのは「見積もりを依頼した自社」です。自社が複数の業者に対して能動的に取引を働きかけた結果、各社から正式な提案(見積書)が寄せられています。
その一連のやり取りすべてが、一つの「取引」を構成する重要な記録と見なされるのです。「一方的に送られてきた見積書」が保存不要なのは、自社が取引の起点ではないからです。一方で、「相見積もり」で失注した見積書を保存する必要があるのは、自社が取引の起点だからです。この「取引の起点(アクションの主体)がどちらにあるか」という視点で区別すると、明確に理解できます。この点を誤ると、必要な書類を破棄してしまうというコンプライアンス上のリスクを負うことになるため、細心の注意が必要です。
保存要否の判断フロー
以上の法的解釈を、日々の業務で誰もが使える実践的な判断ツールに落とし込みましょう。電子的な見積書を受け取った際、以下の流れで確認することで、保存すべきか否かを機械的に判断できます。
1.「この見積書は、自社から依頼したものか?」を自問します。「いいえ」であれば、一方的に送られてきた営業メールなどに添付されたものであり、保存不要の可能性が高いと判断できます。
2.「はい」の場合は、次のステップに進みます。次に、「この見積書は、正式な提案書か、それとも単なる概算やたたき台か?」を確認します。概算やたたき台であれば、「事業の検討段階の粗々なもの」に該当し、保存不要の可能性が高いでしょう。正式な提案書であれば、次の確認が必要です。
3.「この見積書に明らかな誤記があり、すぐに訂正版が送られてきたか?」をチェックします。もし誤記のある古い版であればそれは保存不要です。最終的な訂正版のみを保存対象とします。そうでなければ、最後の質問に移ります。
4.「この見積書は、自社が依頼した相見積もりの一環として提出されたものか?」、そして「特定の1社とのやり取りである場合、取引の可能性を検討するために授受した正式な見積書か?」を確認します。
上記のいずれかに該当する場合は、たとえその業者に発注しなかったり、最終的に契約に至らなかったりしたとしても、保存義務があります。このフローに従うことで、担当者の個人的な判断によるブレを防ぎ、組織として一貫したコンプライアンス体制を維持することができます。
電子帳簿保存法の要件を満たす見積書の具体的な管理・保存方法
保存義務があると判断された見積書は、電子帳簿保存法が定める要件に従って適切に管理する必要があります。要件と聞くと難しく感じるかもしれませんが、ポイントを押さえれば、特に中小企業にとっては、高価な専用システムを導入せずとも対応が可能です。
コンプライアンスの2大要件
電子データ保存の要件は、大きく分けて「真実性の確保」と「可視性の確保」の2つに集約されます。
真実性の確保
これは、「保存されたデータが、作成・受領された時点から改ざんされていないこと」を証明するための要件です。電子データは容易に書き換えが可能なため、その信頼性を担保する措置が求められます。
可視性の確保
これは、「保存されたデータを、税務調査などの際に、誰もが速やかに見つけ出し、明瞭な状態で画面や書面に表示・印刷できること」を担保するための要件です。何年も前に保存したデータがどこにあるか分からなかったり、文字が不鮮明で読めなかったりする状態では、保存している意味がありません。この2つの要件を、いかに効率的かつ低コストで満たすかが、実務上の鍵となります。
事務処理規程の作成と運用による真実性の確保
「真実性の確保」を満たす方法として、法律はいくつかの選択肢を提示しています。例えば、タイムスタンプを付与する、訂正・削除の履歴が残るシステムを利用するなどです。
しかし、これらの方法は導入コストや運用負荷がかかる場合があります。そこで、多くの事業者にとって最も現実的で推奨されるのが、「訂正削除の防止に関する事務処理規程」を社内で定めて、それに沿って運用する方法です。
高価なシステムを導入する代わりに、「データの訂正や削除を原則として禁止し、やむを得ず行う場合には、責任者の承認を得て、その履歴を別途記録する」といった社内ルールを文書化し、遵守することで真実性を担保するアプローチです。この事務処理規程の作成は難しくありません。
国税庁のウェブサイトで、法人向け・個人事業主向けのひな形がWord形式で無償提供されているため、これを自社の実態に合わせて修正するだけで、法令要件を満たす規程を容易に準備できます。規程に盛り込むべき主な内容は以下の通りです。
- 規程の目的と適用範囲
- データ管理の責任者
- 対象となる電子取引の範囲(メール、クラウドサービスなど)
- 対象となるデータの種類(見積書、請求書など)
- データの訂正・削除の原則禁止
- やむを得ず訂正・削除を行う際の手続き(申請、承認、履歴の記録方法)
この方法は、技術的な投資ではなく、組織的なプロセスによってコンプライアンスを達成するものであり、多くの事業者にとって最も費用対効果の高い選択肢と言えるでしょう。
検索機能を確保するファイル名とフォルダ管理
もう一つの要件である「可視性の確保」の中核をなすのが「検索機能の確保」です。税務調査官が必要な書類を要求した際に、すぐに見つけ出せるようにしておく必要があります。法律は、原則として以下の3つの項目で検索できることを求めています。
- 取引年月日
- 取引金額
- 取引先
専用システムを導入すればこれらの検索機能は標準装備されていますが、システムがない場合でも、ファイル名の付け方を工夫するだけでこの要件をクリアできます。具体的には、ファイル名を「取引年月日_取引先_取引金額」というルールで統一するのです。
例えば、「20241028_株式会社〇〇_150000.pdf」のように命名規則を定め、全社で徹底すれば、OSの検索機能で日付(範囲指定)、取引先名、金額による絞り込みが可能となり、法令要件を満たすことができます。
ファイルを保存するフォルダ構造も整理しておくと、より管理が容易になります。例えば、「共有サーバー」内の「電子取引データ」フォルダに年度ごとのフォルダを作成し、その中に「見積書」フォルダを設ける、といった階層構造が考えられます。
なお、この検索要件には重要な宥恕措置があります。基準期間(前々事業年度)の売上高が5,000万円以下の事業者は、税務調査の際にデータのダウンロードの求めに応じることができるようにしていれば、これら3つの検索要件の確保が不要となります。ただし、その場合でも、整理された形で保存しておくことが望ましいのは言うまでもありません。
見積書の授受方法別 保存対応一覧
これまでの内容を、日常業務ですぐに参照できるクイックリファレンスとして表にまとめます。
授受方法 | 法的要件 | 推奨される保存方法 |
電子データで受領(例:メールでPDF受信) | 電子データ保存(義務) | 要件を満たすシステム、または事務処理規程+ファイル名規則で保存 |
電子データで発行(例:PDFをメール送信) | 控えの電子データ保存(義務) | 同上 |
紙で受領 | 任意(紙のまま or スキャナ保存) | 紙のままファイリング、またはスキャナ保存要件に沿って電子化 |
紙で発行 | 控えの保存は任意(紙 or 電子) | 同上 |
関連知識とよくある質問
最後に、見積書の電子保存に関連して、実務上よく問題となる点を補足します。
見積書の保存期間
保存義務があると判断された見積書の保存期間は、紙でも電子でも同じです。原則として、法人は7年間、個人事業主は5年間の保存が必要です。注意すべきは、この期間の起算日です。書類の発行日や受領日から数えるのではなく、その事業年度の確定申告書の提出期限の翌日からカウントします。
また、法人において、青色申告で赤字(欠損金)が生じた事業年度については、その欠損金を将来の黒字と相殺できる「欠損金の繰越控除」の適用を受けるために、保存期間が10年間に延長されますので留意が必要です。
メール本文やチャットの保存対象
見積書がPDFなどのファイルとして添付されておらず、メールの本文やビジネスチャットのメッセージに直接、金額、品目、数量といった取引情報が記載されている場合があります。この場合、そのメールやチャットのやり取り自体が「取引情報を記録した電子データ」と見なされ、保存対象となります。
その際は、メール全体をPDF化して保存する、あるいは画面のスクリーンショットを撮って保存するなどの対応が必要です。ただし、本文と同じ内容が記載された見積書ファイルが別途添付されているのであれば、その添付ファイルのみを要件に従って保存すれば問題ありません。
まとめ
電子帳簿保存法における見積書の取り扱い、特に契約に至らないケースの保存義務は、多くの事業者にとって悩みの種でした。しかし、国税庁の公式見解を正しく理解することで、その悩みは解消できます。
まず、すべての見積書を保存する必要はありません。鍵は国税庁が示す「取引に関して」の解釈です。一方的に送られてきたもの、正式な提案前の概算、明らかな誤記を含むものは、原則として保存不要と判断できます。
次に、相見積もりは例外として捉える必要があります。自社が依頼した相見積もりについては、採用しなかった業者の分も含め、すべての見積書を保存する義務があります。取引の起点と双方向性が判断の分かれ目です。
コンプライアンスは「仕組み」で実現できます。保存義務のある見積書については、高価なシステムに頼らずとも、「事務処理規程」の整備と「ファイル命名規則」の徹底という2つの仕組みを導入することで、多くの事業者は法令要件を十分に満たすことが可能です。電子帳簿保存法への対応は、単なる義務や負担ではありません。
これを機に社内の文書管理プロセスを見直し、不要なデジタルデータを適切に整理・廃棄するルールを確立すれば、それはコンプライアンスの達成と同時に、業務の効率化、管理コストの削減にも繋がります。
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