
年末調整の時期が近づくと、人事や経理の担当者にとって、退職者に関する手続きは特に注意を要する業務の一つです。中でも給与支払報告書は、提出義務の判断基準や正確な記載方法など、複雑な要素が多く含まれており、適切な処理が求められます。
この手続きを誤りなく、かつ効率的に進めたいと考えるのは、すべての担当者に共通する思いでしょう。
この記事では、退職者の給与支払報告書に関するあらゆる疑問点を解消し、担当者が自信を持って業務を遂行できるよう、網羅的に解説します。
具体的には、「給与支払額が30万円以下の場合、提出は不要なのか」「源泉徴収票とは具体的に何が違うのか」「万が一、退職者と連絡が取れなくなった場合の対処法」といった、実務で直面しがちな課題に焦点を当てます。
本記事を最後までお読みいただくことで、法的な罰則のリスクを回避し、退職した従業員との関係性を良好に保つための確かな知識を習得できます。煩雑な手続きを円滑に進めるための一助として、ぜひご活用ください。
目次
給与支払報告書と源泉徴収票の基本的な違い
退職者の手続きを正確に理解するためには、まず給与支払報告書そのものの役割と、混同されがちな源泉徴収票との違いを明確に把握することが不可欠です。これらの書類の目的を正しく認識することで、業務の精度を高め、ミスを未然に防ぐことができます。
給与支払報告書の役割
給与支払報告書の主な目的は、従業員が前年(1月1日から12月31日まで)に得た給与の総支払額を、その従業員が居住する市区町村へ報告することにあります。市区町村は、この報告書に記載された情報に基づいて、翌年度の住民税額を算出します。つまり、給与支払報告書は、個人の住民税額を決定するための根拠となる、極めて重要な資料なのです。
この提出義務は、地方税法第317条の6に基づき、給与支払者である企業に課せられています。正社員、パート、アルバイトといった雇用形態に関わらず、給与を支払ったすべての従業員が報告の対象となります。
源泉徴収票との決定的な違い
給与支払報告書(個人別明細書)と源泉徴収票は、記載項目が酷似しているため、同一の書類であると誤解されがちです。しかし、その目的、提出先、そして法的な根拠は全く異なります。
目的と関連する税金
給与支払報告書は、地方税である住民税の計算に用いられます。一方で、源泉徴収票は、国税である所得税の精算(年末調整)や、個人による確定申告の際に使用される書類です。
提出先
給与支払報告書は、従業員がその年の1月1日時点(退職者の場合は退職時)で居住していた市区町村へ提出します。従業員本人への交付義務はありません。対して、源泉徴収票は税務署と従業員本人の両方へ提出・交付が必要です。ただし、税務署への提出は、年間の給与支払額が一定の基準を超える場合に限られます。
マイナンバー(個人番号)の取り扱い
市区町村へ提出する給与支払報告書には、従業員のマイナンバーを記載する必要があります。一方、源泉徴収票では、税務署提出分にはマイナンバーの記載が必須ですが、従業員本人へ交付する分には記載してはいけません。プライバシー保護の観点から、取り扱いが厳密に定められています。
これらの違いは、日本の税制度が国税と地方税に分かれていることに起因します。所得税は国(税務署)が、住民税は地方自治体(市区町村)がそれぞれ管轄しているため、異なる行政機関へ報告するための書類が必要となるのです。書式が似ているのは、同じ給与データを基に作成されるため、事業者の事務負担を軽減するための配慮と言えるでしょう。
退職者における給与支払報告書の提出義務
退職者の給与支払報告書に関する実務で、最も判断が分かれるのが「提出義務の有無」です。特に「年間の給与支払総額30万円」という基準が、重要な判断の境界線となります。
原則ルール:支払総額30万円がボーダーライン
地方税法においては、前年中に退職した従業員について、その年の給与支払総額が30万円を超える場合に、給与支払報告書の市区町村への提出を義務付けています。
一方で、支払総額が30万円以下の退職者に関しては、法律上の提出義務は発生しません。この点が、給与支払額にかかわらず全従業員分の提出が義務付けられている在職者との大きな相違点です。
例外と実務上の推奨対応
法律上、支払総額30万円以下の退職者については提出義務がありません。しかし、実務上はほとんどの市区町村が、公平・適正な課税を実現するため、金額にかかわらず提出するよう協力を要請しています。市区町村は、管轄内の住民の所得情報を正確に把握する必要があるからです。
この協力依頼の背景には、税務行政の現実的な課題があります。例えば、ある退職者が複数の企業で短期間就労し、各社からの支払額がそれぞれ30万円以下だったと仮定します。
もし、すべての企業が法律上の義務がないことを理由に給与支払報告書を提出しなければ、市区町村はその人物の正確な合計所得を把握できず、結果として住民税を正しく課税できなくなります。
このような状況は、正直に申告している他の納税者との間に不公平を生む原因となりかねません。したがって、実務における最善の対応は、「支払額にかかわらず、すべての退職者について給与支払報告書を提出する」ことです。
この対応により、後日市区町村から所得に関する問い合わせを受ける手間を省けるだけでなく、退職した元従業員が税申告で不利益を被る事態を防ぐことにもつながります。
ケース別・退職者の給与支払報告書の書き方について

退職者の給与支払報告書を作成する際は、在職者とは異なるいくつかの点に注意が必要です。ここでは、具体的な書き方を「個人別明細書」と、それをまとめる「総括表」に分けて、詳しく解説します。
個人別明細書の重要項目
個人別明細書は、従業員一人ひとりについて作成する詳細な報告書です。退職者の場合は、特に以下の項目を正確に記入することが求められます。
住所
在職者の場合は「提出する年の1月1日現在の住所」を記載しますが、退職者については「退職日現在の住所」を記載します。この住所地の市区町村が提出先となるため、極めて重要な情報です。誤った住所を記載すると、書類が適切な市区町村に届かず、元従業員の住民税手続きに重大な支障をきたす可能性があります。
支払金額
前年の1月1日から12月31日までの期間に、支払いが確定した給与、賞与、各種手当などを含めた総額を正確に記載します。源泉徴収票の「支払金額」と一致している必要があります。
中途就・退職
書類の中ほどに設けられている「中途就・退職」の欄で、「退職」に必ずチェック(〇印)を入れ、正確な退職年月日を明記します。この記載があることで、市区町村は対象者が退職者であり、翌年度の住民税を給与から天引きする「特別徴収」の対象外であると判断します。この情報が、後述する住民税の「普通徴収」への切り替え手続きの起点となります。
摘要
例えば、年度の途中で入社した退職者で、前職分の給与を通算して年末調整を行った場合など、特記事項がある際に使用します。この欄には、前職の会社名、支払金額、社会保険料などを記載することが一般的です。
総括表の書き方
総括表は、個人別明細書を市区町村ごとに取りまとめる際の表紙として機能する書類です。報告する人員の内訳を正確に記載する必要があります。
報告人員
総括表には、報告人員の内訳を「特別徴収」と「普通徴収」に分けて記載する欄があります。
- 特別徴収
在職中の従業員のように、企業が給与から住民税を天引きして市区町村に納付する対象者の人数を記載します。 - 普通徴収
退職者は、原則としてこちらの区分に含めます。退職により企業が住民税を天引きできなくなるため、本人自らが直接市区町村に納付する方法(普通徴収)に切り替わるためです。
これらの項目を正確に記入する作業は、単なるデータ入力ではありません。一つひとつの情報が、市区町村の税務システムに対する「処理指示」として機能します。
「退職」欄のチェックや「普通徴収」への計上は、「この人物には納税通知書を直接送付してください」という明確なシグナルを送る行為なのです。この仕組みを深く理解することが、より正確な書類作成につながります。
提出期限と方法
書類を正確に作成した後は、定められた期限内に適切な方法で提出することが重要です。期限や方法を誤ると、手続きが遅延したり、受理されなかったりする可能性があります。
提出期限
給与支払報告書の提出期限は、給与を支払った年の翌年1月31日です。この期限は全国一律であり、厳守する必要があります。提出が遅れると、市区町村における住民税の計算作業が遅れ、従業員への納税通知書の送付が間に合わなくなるなど、多方面に影響が及ぶ可能性があります。
提出先
提出先は、対象となる従業員が居住する市区町村です。前述の通り、退職者の場合は「退職日現在の住所地」の市区町村となります。事業所に複数の市区町村に居住する従業員がいる場合は、それぞれの市区町村ごとに総括表を作成し、該当する個人別明細書を添付して提出する必要があります。
提出方法
提出方法には、郵送や窓口への持参といった従来の方法に加え、電子申告システムを利用する方法があります。業務の効率化と正確性の観点から、eLTAX(エルタックス)を利用した電子申告を強く推奨します。
eLTAX(地方税ポータルシステム)のメリット
- 業務の効率化
複数の市区町村への提出が必要な場合でも、一度のデータ送信操作で完了できます。 - データ連携
市販の会計ソフトや給与計算ソフトで作成したデータを取り込んで、スムーズに申告データを作成できます。 - 手続きの一元化
市区町村へ提出する給与支払報告書と、税務署へ提出する源泉徴収票を同時に作成し、一括で送信することが可能です。これにより、類似した二つの手続きを一度で完結させることができ、業務負担が大幅に軽減されます。 - ペーパーレス化
特別徴収税額通知書を電子データで受け取ることができ、書類の保管や管理が容易になります。
なお、税制改正により、前々年に税務署へ提出した源泉徴収票の枚数が100枚以上である事業者は、eLTAXまたは光ディスク等による電子提出が義務化されています。この基準からも、国や地方自治体が行政手続きの電子化を強力に推進していることが分かります。
現在は義務化の対象でない小規模な事業者であっても、将来の標準となる電子申告に早期に対応しておくことは、長期的な視点での業務効率化に繋がります。
退職者の給与支払報告書に関する実務上のQ&A

給与支払報告書の提出業務に際して、担当者が直面しやすい具体的な疑問や関連手続きについて、Q&A形式で解説します。
Q1. 給与支払報告書を提出した直後に従業員が退職した場合はどうすればよいですか?
1月31日の提出期限までに給与支払報告書を提出した後、2月や3月といった時期に退職者が出るケースは頻繁に発生します。この場合、提出済みの給与支払報告書の内容を修正する必要はありませんが、追加で「給与所得者異動届出書」を市区町村に提出する必要があります。
この届出書は、「該当の従業員は退職したため、本年6月から開始される住民税の特別徴収(給与天引き)はできません」という事実を市区町村に正式に通知するためのものです。提出期限は、従業員が退職した月の翌月10日です。
この手続きを怠ると、会社宛に退職者の住民税の納税通知書が送付され続けてしまい、後の処理が煩雑になるため、速やかに提出してください。
Q2. 退職後の住民税の納付方法はどのように変わりますか?
在職中は、会社が毎月の給与から住民税を天引きして納付する「特別徴収」が原則です。しかし、退職によって給与の支払いがなくなると天引きができなくなるため、従業員本人が直接納付する「普通徴収」へと切り替わります。
普通徴収では、市区町村から本人宛に納税通知書と納付書が送付され、通常は年4回(6月、8月、10月、翌1月)の納期に分けて自分で納付することになります。
ただし、退職時期によっては、残りの住民税を最後の給与や退職金から一括で天引き(一括徴収)する対応が求められる場合があります。
- 1月1日から4月30日までの退職
一括徴収が法律で義務付けられています。その年度の5月分までの住民税の残額を、最後の給与等からまとめて天引きします。 - 5月1日から5月31日までの退職
5月分の住民税のみ、最後の給与から天引きします。 - 6月1日から12月31日までの退職
原則として普通徴収へ切り替わります。ただし、本人が希望すれば、翌年5月分までの住民税の残額を最後の給与等から一括徴収することも可能です。
Q3. 退職者と連絡が取れず、現住所が不明な場合はどうすればよいですか?
退職後に転居し、本人と連絡が取れなくなった場合でも、会社としての給与支払報告書の提出義務が免除されるわけではありません。このようなケースでは、会社が把握している最後の住所地の市区町村へ提出します。手続きを進める上で不明な点があれば、自己判断せず、提出先の市区町村の担当窓口に電話などで相談し、具体的な指示を仰ぐのが確実です。
Q4. 退職者がマイナンバーの提供を拒否した場合、どう対応すればよいですか?
給与支払報告書へのマイナンバー記載は、法律で定められた要請事項です。まずは従業員に対し、その法的根拠を丁寧に説明し、提供を再度依頼します。
それでも提供を拒否された場合、会社側が罰則を受けることはありません。ただし、単に記載を怠ったわけではないことを証明するために、「いつ、誰に提供を依頼し、その結果として拒否された」という経緯を記録し、保管しておくことが重要です。その上で、マイナンバー欄を空欄のまま給与支払報告書を提出します。
提出漏れ・記載ミスのリスクと罰則
給与支払報告書の提出は、地方税法に定められた企業の義務であり、これを怠った場合には罰則規定が設けられています。
法律上の罰則
地方税法第317条の7では、正当な理由なく給与支払報告書を提出しなかったり、虚偽の記載をして提出したりした場合には、「1年以下の懲役または50万円以下の罰金」に処される可能性があると規定されています。この罰則は、手続きを行った担当者個人だけでなく、法人そのものにも適用される可能性があります(両罰規定)。
実務上のリスク
実際に懲役刑や罰金刑が科されることは極めて稀ですが、だからといって義務を軽視してよいわけではありません。実務上、以下のようなリスクが発生します。
- 社会的信頼の失墜
不正確な手続きは、元従業員の税務手続きに混乱を招き、多大な迷惑をかける行為です。企業のコンプライアンス意識の欠如と見なされ、社会的信頼や企業イメージを損なう原因となります。 - 管理業務の増大
提出が遅れたり、内容に不備があったりすると、市区町村から督促状が送付されたり、内容確認の問い合わせが入ったりします。これらの対応には、本来不要な時間と労力が割かれることになります。 - 税務当局からの監視強化
コンプライアンス違反が繰り返されると、税務調査の対象として選定される可能性が高まるなど、他の税務リスクを誘発する恐れもあります。
まとめ
退職者の給与支払報告書に関する一連の手続きについて、担当者が確実に押さえておくべき重要ポイントを以下にまとめます。
- 目的の理解
給与支払報告書は住民税を計算するための基礎資料であり、提出先は従業員の居住市区町村です。 - 提出義務の的確な判断
退職者の場合、年間の給与支払額が30万円を超える場合は法律上の提出義務があります。しかし、実務上は金額にかかわらず全員分を提出することが、最も安全で確実な対応です。 - 記載方法のポイント
住所は「退職日現在の住所」を記載し、「中途就・退職」欄へのチェックと日付の記入を徹底します。 - 期限の厳守
提出期限は翌年1月31日です。遅延がないよう、計画的に業務を進めることが重要です。 - 関連手続きの徹底
報告書提出後に退職者が出た場合は、退職の翌月10日までに「給与所得者異動届出書」を必ず提出します。 - リスクの認識
提出義務を怠ると、法律上の罰則だけでなく、企業の信頼失墜といった重大な実務上のリスクを伴います。 - eLTAXの活用
業務の効率化と正確性の向上を図るため、eLTAXによる電子申告の導入を積極的に検討しましょう。
本記事が、貴社の年末調整および退職者関連業務を円滑に進めるための一助となれば幸いです。
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